アーカイブ : 2012年 4月 16日

与えられたこの命・・・しっかり生きなければ。

月日の経つのは、本当に早い・・・。

母が満89歳の誕生日の直前である2月20日に亡くなって、
葬儀を執り行った23日から、もう少しで2ヶ月が経とうとしている。

先週の土曜日に、49日の法要、納骨式を行って、
母は、父の遺骨と共に眠ることになった。
遺影も、世田谷の実家で、父の遺影と並んでいて、母は微笑んでいる。
母にとって、3度目の新婚生活の始まりだ・・・。

第二次世界大戦中の昭和18年の夏、ロシア語通訳官であった父と母は、
互いの生まれ故郷である広島で、結婚、東京へ、新婚旅行。

新婚旅行直後、満州へ。

昭和20年の夏、平和条約を破棄したロシア軍侵攻によって、満
州で、父と母は別れ離れとなった。

母は、1歳の長男と共に、命からがら引き揚げ。
無事に、日本へ辿り着いたが、長男は病死・・・。
父は、ロシア軍によって捕虜となり、シベリアへ抑留。
日本語とロシア語がわかる父にかけられた容疑は、スパイ容疑だった。
約10年の抑留で、父は身体を壊し、強制送還。

昭和30年、実家の祖父母と父を待ち続けた母と父は2度目の結婚生活を開始したのだった。

2年後に僕が、4年後に妹が生まれ、暫しの平和な時が流れた・・・。

だが、昭和37年、僕が5歳の時に、父は軽い交通事故によって、
帰らぬ人となってしまった。
10年間のシベリア抑留によって奪われた体力・・・事故の怪我には勝てなかった。

それから、50年・・・。
昨年の11月3日、母は、夫の50回忌を自身の手で立派に執り行って、他界した。

そして、先週から、3度目の新婚生活を、父と幸せに営んでいる・・・。

父母の壮絶な人生を、思い起こす度に、
与えられたこの命、命尽きるまで、悔い無く、生き抜かねば・・・と思うのである。