与えられたこの命・・・しっかり生きなければ。
月日の経つのは、本当に早い・・・。
母が満89歳の誕生日の直前である2月20日に亡くなって、
葬儀を執り行った23日から、もう少しで2ヶ月が経とうとしている。
先週の土曜日に、49日の法要、納骨式を行って、
母は、父の遺骨と共に眠ることになった。
遺影も、世田谷の実家で、父の遺影と並んでいて、母は微笑んでいる。
母にとって、3度目の新婚生活の始まりだ・・・。
第二次世界大戦中の昭和18年の夏、ロシア語通訳官であった父と母は、
互いの生まれ故郷である広島で、結婚、東京へ、新婚旅行。
新婚旅行直後、満州へ。
昭和20年の夏、平和条約を破棄したロシア軍侵攻によって、満
州で、父と母は別れ離れとなった。
母は、1歳の長男と共に、命からがら引き揚げ。
無事に、日本へ辿り着いたが、長男は病死・・・。
父は、ロシア軍によって捕虜となり、シベリアへ抑留。
日本語とロシア語がわかる父にかけられた容疑は、スパイ容疑だった。
約10年の抑留で、父は身体を壊し、強制送還。
昭和30年、実家の祖父母と父を待ち続けた母と父は2度目の結婚生活を開始したのだった。
2年後に僕が、4年後に妹が生まれ、暫しの平和な時が流れた・・・。
だが、昭和37年、僕が5歳の時に、父は軽い交通事故によって、
帰らぬ人となってしまった。
10年間のシベリア抑留によって奪われた体力・・・事故の怪我には勝てなかった。
それから、50年・・・。
昨年の11月3日、母は、夫の50回忌を自身の手で立派に執り行って、他界した。
そして、先週から、3度目の新婚生活を、父と幸せに営んでいる・・・。
父母の壮絶な人生を、思い起こす度に、
与えられたこの命、命尽きるまで、悔い無く、生き抜かねば・・・と思うのである。
素敵なお話
ありがとうございますm(__)m
自分の不甲斐なさに
少し投げやり気味になりかけていた
自分がいて・・
頑張ります。
ありがとうございました☆
博士、お話ありがとうございます!