ある大きな教え・・・

昨日で、母が入院してから、丸55日が経過した。

担当医から、いつ呼び出されても良いように・・・との言葉を受けて、
ほぼ毎日、朝は5時前後に病室に行き3~4時間、
夕方はこれまた5時前後に病室に行って3~4時間、
日中は、妹が付添う・・・を繰り返してきた。

肉体的にも精神的にも、日が経つにつれて、限界・・を感じるのだが、
「美味しい・・」「ああ・・気持ち良い・・・」という、
食事をする度に、身体を拭かれる度に、発せられる母の言葉で、
その限界は吹き飛んでいくのだった。

はじめの頃は、まだ夜が明けぬ、暗い廊下で、
どこの誰かわからぬ中年男性とバッタリ鉢合わせをしてしまった看護士さんから、
何とも言えぬ驚きの声を発せられたものだった。

だけど、日が経つにつれて、フロアのほとんどの看護士さん達、男性女性関係なく、
自然に顔馴染みになってきた。
だからといって、看護士さん達には、世間話をする余裕などは無い・・・
患者に対して痛い・痒い・辛い・・・などの感情をもつ余裕も無い。

ハードワークという理由もあるのだが、
おそらく患者やその家族や見舞いのヒト達に対して、
感情を持ってしまうことで、看護が確実に行えなくなるのを防いでいるのだろう。

日勤夜勤の繰り返し、
受け持ちの患者が順番に毎日変わる、
鳴り響くナースコール、
介護に近い看護の連続・・・
大きな使命感を持たない限りは、決して続かないだろうと、思えるのだった。

それらのハードワークに加え、
我が儘な、傲慢な、患者の大きな声が朝夕、夜中を問わず、
響き渡るという精神的にはかなり辛い状況が加わる。

「おーい、姉ちゃん、寒いよ」
「なんで、そんなに乱暴にするんだよ!痛いよ、痛いよ!!」
「金払ってんだぞ!ちゃんとしてくれよ!何で、助けてくれないんだ?」
「嫌だよ~、、、出たいよ~」
・・・それぞれのヒトに感情移入しようものなら、身体は、まず持たないだろう。

そんな患者さんがいる一方で、
診察に来る担当医のY医師、O医師に対して、
また、検診や看護に来る看護士さん達に対して・・・
直前まで、辛そうな表情をしていたにも関わらず、
満面の笑みを浮かべながら、
「お陰様で良い方向に向かっています。ありがとうございます」
「お世話になります。・・・はい、お陰様で痛みはありません。ありがとうございます。」
・・・心底すまなそうに、
「汚れた身体でごめんなさいね。」
「お世話になります・・すみませんね」
・・・などの声を掛ける母がいた・・・。

医師から何度、「そんなこと言わないで・・仕事ですから・・・」、、、
看護士さん達から何度、
「大丈夫ですよ。・・・ほら、綺麗になりましたよ!、サッパリしましたね!」
「そんなに言わないで良いですよ。リラックスしていてくださいね」
というような言葉を聞いたことだろう。

そんな模範的な?患者の代表格であった、母が、昨日の未明に旅立った・・。

「早めの連絡をくださいね。
夜中でも何時でも、その見立てが間違っていても、全く構いませんから」
という、僕たち子どもの願いを、忙しい日常業務の中で、しっかり聞いてくれて、
駆けつけてから、しっかり、5時間、最後の別れと、
最後の感謝の気持ちを伝えることができた。

その時がきた・・・、駆けつけたO医師、夜勤の担当看護士の皆さん、
そして僕たち家族は、母を見送った。

感情は一切表さなかった、また、普段のこの場面ではまずは感情を表さないであろう、
彼らの目からも、僕らと同じように、涙が溢れていた・・・・。

この55日間で、母からあらためて教えてもらった事は非常に大きなものであった・・・。

    • ヤマダ ケンジロウ
    • 2012年 2月 22日 2:33am

     若山、大変だったな。お疲れ様。お母さんとは、学生時代に合ったきりだけど、ご冥福を祈ります。しばらくは、葬式や仕事で忙しい上、心の寂しさが残るだろうけど、無理をしないで、体を壊さないように。落ち着いたら、また、飲もう。

    • admin
    • 2012年 2月 22日 4:40am

    @ヤマダ ケンジロウ
    コメント、ありがとう。
    また、皆で会いましょう!!
    若山祥夫

    • 寺西竜也
    • 2012年 2月 25日 9:25am

    遅ればせながら、お母様のご逝去をお悔やみ申し上げます。
    ご冥福をお祈りします。

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